2018年3月17日土曜日

これから生き残る新人個人投資家は氷山の一角のみ

個人投資家のバブル状態 2012年頃からのアベノミクスによる上昇相場の恩恵を受けた個人投資家が多くいます。 そのため、株式投資で数千万円から1億円以上の利益を上げた個人投資家が続出しています。 本屋には「○万円から始めて○億円増やす方法」のような本が並び、ネットの広告でもドヤ顔の自称億り人投資家が、その様な広告を出してきます。 また、仮想通貨においても億り人が続出したことが話題となりました。私を含めた駆け出しの個人投資家は、その様な美味しいチャンスがあちこちに転がっていると思い込み、「ワンチャンあるんじゃね?」等と言って、こぞって資金をつぎ込んで行きます。 しかし、それは何も分かっていない危険な行為です。 億り人投資家の共通点 その「○万円から○億円増やす方法」系の本を、私自身も藁にもすがる思いで何冊か読んだことがあります。また、成功している個人投資家のブログもいくつか拝読しています。 その結果分かった、彼らの共通点を書きたいと思います。彼等の共通点を語ることが、これから多くの新人投資家が退場していく理由にもなるからです。 ちなみにここでいう「億り人」とは、たまたま当てて億稼いじゃいました的な運が良い投資家のことではなく、実力で利益を上げた億り人のことです。 実力派億り人の共通点 今現在、株式の個人投資家で1億円プレーヤーになっている人たちというのは、多くの失敗や辛い境遇に立たされながらも、諦めずに投資を続けて来た人達です。 今の成功している彼ら先人たちが投資を始めたのはだいたい2000年代初頭から2000年代の中頃です。 なぜかというと、個人で簡単に投資できるネット証券会社が普及してきた時代と重なるからです。 それまで個人投資家は証券会社に電話するか直接足を運ばないと株を買えないわけです。ネットが取引ができるようになったことは、個人投資家にとっては大変なメリットでした。 また、この頃はライブドアが話題になり、ホリエモンが1単位100円で買えるという、超豆株を発行するなどして個人での株式投資が今以上に話題になっていました。 個人でも株が簡単に買える?儲ける事ができる!? という感じで、個人投資家デビューした人はおそらく今以上に多くいた時代です。「物言う投資家」として村上ファンド等も話題になっていました。 そうして華々しくデビューした当時の新人個人投資家達でしたが、いくつかの厳しい試練が待っていました。 当時の新人個人投資家を襲う悲劇 まず、ライブドアショックにより日本株は急落、特にライブドアに投資していた個人投資家は資産を半減させられるハメにります。 元バレー代表で投資家でもある川合俊一さんは、この時に2億円の資産を1億円まで減らしたそうです。 ライブドアショックとともに「やっぱり株で儲けるのは無理だな」と思って退場した個人投資家は多かったでしょうし、やっぱりオイシイ話はないな、株には手を出さん!と心に決めた一般人も多かったと思います。 しかし、これだけでは終わりませんでした。 むしろ、当時の期待を胸に抱きデビューしたばかりの個人投資家を襲う本当の悪夢はこのあとでした。 サブプライムローン崩壊からのリーマン・ショックという絶望の流れです。 ライブドアショックはあくまでも日本国内の中のショックとして一時的なものでした。 しかし、このリーマン・ショックは米国の潰れるはずがないと言われていた有名な銀行が経営破綻に追い込まれるくらいでした。 前代未聞の金融危機と言われ、世界中で何年かに渡って経済が低迷してしまいました。 もちろん、個人投資家の持っていた保有資産も日本株だろうが外国株だろうが何だろうが、低迷したまま出口の見えないトンネルを彷徨う状態が続いたのです。 相次ぐ悲劇により、個人投資家達の資産はみるみる減っていき、ライブドア・村上ファンド時代に華々しくデビューした個人投資家の8〜9割は去っていったのではないでしょうか? 無事に生き残り結果を出している個人投資家でも、当時の事を思い出すといまだに吐き気がするという人もいます。*1 そしてこの前代未聞の金融危機を乗り越えた一握りの個人投資家が、その後のアベノミクスの恩恵を受けて数千万円から1億円以上の「億り人」になる事ができたのです。 個人投資家というのは、魚の卵に似ています。 魚は一度にたくさんの卵を生んで孵化をします。しかし、外敵に捕食されたりして、無事に大人になるのはほんの一握りです。 まさに個人投資家も同じです。危険を察知する能力が人一倍あった人もいるだろうし、単純に強運で生き残った人もいるでしょう。 今、表に出ている成功した個人投資家たちは、たくさんの卵の中から選び抜かれ大人になった一握りの魚たちなのです。    リーマン・ショックを乗り越え、相場という厳しい自然界の中で選び抜かれ鍛え上げられた一握りの屈強な個人投資家たちは、その後もギリシャショック、チャイナショック、イギリスEU離脱等いくつものショックを経験しています。 それでもショックは必ず乗り越えられるもの、むしろチャンスという事が分かっているので、そこで退場する人はもういなくなります。 彼らは、相場という厳しい自然界の中で生き延びる術を身に着けたのです。 生き残って成功するためには  現在の、その様にして成功していった個人投資家を羨ましがって投資に興味を持った人が増えている状況は、一昔前の「ライブドア村上ファンド時代」に少し似ているのではないでしょうか? なので、歴史は繰り返すとするならば、多くの期待を抱いて新たにデビューした個人投資家が増えてきたとき、再び金融ショックや数年に渡る恐慌が発生し、その際に多くの新人個人投資家が退場していくだろうと思います。 そして、それに耐え抜いた一部の個人投資家は、その後の上昇相場の恩恵を受ける事ができるはずです。 実は90年代の日本史上最悪のショックである、バブル崩壊を生き抜いた往年の熟練ベテラン投資家たちは、その経験からリーマン・ショックの際に安くなったところで買い増し、さらなる資産を形成していたようです。 おそらく、次のショックが訪れたとき、「ライブドア・村上ファンド時代」にデビューし今日まで生き残っている屈強な個人投資家たちも、リーマン・ショックを教訓に安くなった所で更に買い増し、資産を増やしていくはずです。 これから来る金融ショック、暴落は数年続く場合もある...

2018年3月11日日曜日

お金=なんか悪いというイメージと、初心者個人投資家は孤独という話

日本人の投資に対するイメージ 『野麦峠』を見て感じたこと 結局は個人の投資リテラシー次第 初心者個人投資家は孤独 日本人の投資に対するイメージ 日本ではまだまだ資産運用、とりわけ「投資」や「株」という言葉を使う事には気をつけないといけません。 人によるとは思いますが、楽して稼ごうとしている、あるいは金の亡者などというイメージがあるのではないでしょうか。 『野麦峠』を見て感じたこと この前たまたま『野麦峠』という大竹しのぶげ小役をやっている昔ヒットした古い映画を、作業をしながら横目で観る機会がありました。 製糸場で奴隷の様にこき使われる女の子たちと、使う側のお金を持った汚い人間たちの話です。 登場人物たちは製糸業という当時のドル箱産業で、お金を持ったがゆえに性格が変わって狂ってしまったり、ずる賢い奴にお金を盗んだなどと変な濡れ衣を着させられて真面目な人が自殺してしまったりします。 今は仮想通貨業者が話題になり、少し前はIT業界、ヘッジファンドなどがそうだったのと同じように、昔は製糸業が同じように新しく出てきたホットな産業で、 時代は変わっても昔からそうしたお金のうごめいて様々な悲劇(ドラマ)のあるような業界がいつの時代にもあったんだなと当たり前ながら思いました。 最後には主人公の大竹しのぶが病気で死んでしまったのを聞いた女の子たちが、作業の手を止めないように指図する監視人の言う事を初めて集団で無視して皆で外に出てお祈りをするという、プチ暴動を起こしてクライマックスを迎えます。 この映画にはお金を持ちすぎると危険というイメージや、お金持ち(雇用主側)、資産家などはとりあえず悪!というイメージ、更にはお金について考える事はイヤシイ奴! と言うようなしょうもない考えが頭に刷り込まれるような映画でした。 お金を持ちすぎるとろくな事はないし、金儲けについて考えること自体が良くない、程々に働いて無難に生活するのが一番だと、映画を観たら思わざるを得ない感じになります。 結局は個人の投資リテラシー次第 こういった映画が日本人が投資嫌いになっている理由の1つになっているのか定かではありません。 もちろん、この映画は、お金=悪というようなメッセージ性を植え付ける為に作られた訳でもありません。 しかし、少なくとも私は今回『野麦峠』を観ていて、そういったイメージを植え込まれました。 確かに、お金をいざたくさん持った時に、きちんと使いこなせる様なメンタルというかリテラシー能力を持っていないといけないと思います。 個人のブログをいくつか拝見していて、億り人の様に資産を増やして成功した投資家の人達は、実生活を何か変わったり変えたわけでもなく、淡々とサラリーマンを続けていたりする人が多いようです。 投資の神様ウォーレン・バフェットも、資産が九兆円あるにも関わらず、昔から住んでいる質素な家で質素な暮らしをしています。 生まれ育った小さな街のマクドナルドのテイクアウトで朝食を済ます事、子どもの頃から好きなコカコーラを毎日飲む事がルーティンになっています。 若い頃から何1つ変わらない質素な生活しています。  また、バフェットは自分の財産は自分が死んだらすべて慈善団体に寄付すると明言しています。 投資に対してはそういったこともあり、成功する人はそもそもお金持ちになったときのリテラシー能力(器)を最初から持っていて、それを持っていないと逆に投資では成功できない、というイメージもあります。 きっと、もしお金をたくさん手に入れたら、豪遊してやるぜ! とか、札束の風呂に入ってウェーイしてやるぜ!みたいな人にはそもそもお金は入り込んでこないです。 万が一お金がたくさん入り込んできても、それこそ野麦峠の様な悲劇に見舞われたり、とりあえずすぐに使い切ってお金が逃げていってしまう物なのではないかと思います。 大金には、妖刀の様に使う人を選ぶ魔力があるのではないでしょうか。 なのできっと、個人投資家はお金持ちになったときにそれを使いこなすシュミレーションをしておいた方がいいと思います。 アセットロケーションの想定などはだいたいの投資家はしていると思いますが。 とりあえず、なぜ「投資(お金について考えること)=良くない」の様なイメージが日本で付いてしまったのかというテーマは、調べると社会・経済史学的に面白うそうです。 投資(お金儲け)=悪の様に思考停止で考えることは大概ですが、お金持ちになったときのリテラシー能力(器)を持っている事は大事だと思います。 逆に言うと、そういったリテラシー能力を持たないでお金持ちになった人がたくさんいたから変な事件が増えていき、お金持ち=悪の様なイメージがついていった部分もあると思います。 お金=悪いのではなく、どう考えてもそのお金を使う人が良い事をするのか悪いことをするのかという事が問題であって、お金自体は良くも悪くもないものだと思います。 ただ、お金はできる事を増やす事ができる物なので、きちんとお金に対する勉強をして、良い生活ができるように投資する事が悪いことだとは全く思いません。 初心者個人投資家は孤独 話が脱線してしまいましたが、要するに普段の生活で自分が投資をしている、あるいは株をやっているという話を他人に話すことは聞き手によって繊細な話題になります。 なので、仕事関係の人には面倒になるのを回避する為一切株の話等をしない様にしています。 別に悪いことをしているわけではないので、何らかの拍子に気づかれたとしたらそれはそれで問題はありません。 自分からは言わないようにしています。 私は株をやっていることについては仲の良い友人に何人かに話したくらいで、それ以外の人には話していません。 友人によっても反応はマチマチで、やはり投資や株と言う話題は、話す人を選ばないといけないものなんだと思います。 そうすると、投資の話を普段できる人は、一人暮らしの自分にとってはほぼいないと言う事になります。 結婚をしている投資家にとっては奥さんや旦那さんが話し相手だったりすると思います。 しかし、私は結婚どころか付き合っている人もいないので、実生活で話す事はほとんどありません。 ベテラン投資家の方や成功を収めた投資家の方、あるいはプロの方々は投資仲間のいる人も多いと思います。 私は初心者で、誰かに言われたわけでもなく、本などを読んで個人で始めた身なので、 もちろんそういった仲間もまだいません。 毎日情報を仕入れたり、色々と新しく感じた発見があっても、それを共有できる人がいないと言うのは、なんとも孤独ではないでしょうか? それも1つの、資産を増やす為の試練なのかも知れません。 過去の投資記録等を残す為にブログをやっていますが、他にやっている理由があるとしたら、そうした現実世界で話すことのできない事をブログに書いて発散するためだと思います。*1 今はインターネット社会で、たくさんの同じ個人投資家の人の思っていることや意見等を読む事ができます。 きっと同じように、実生活で思うように話せず、それも一因でブログ等に書いてくれている個人投資家、兼業投資家の方も多いと思います。 ブログで現在の状況やそれに対する考察、あるいは銘柄に対する考察等を載せてくれているベテランの方々もいるので参考になります。 単純に勉強、刺激になりますし、日常で会うことはなくても、同じ価値観を持ち自分より先行している人達、同じ時期に始めた人達、またはこれから始めようとしている人達が同じ日本のどこかにたくさんいる事がある意味では嬉しいです。 今回は長文になってしまいました。...